西村菜那子 生誕祭で読まれた手紙一覧です。涙あり、笑いあり…
◆母から西村菜那子へのお手紙全文 (2016年8月16日)
菜那子へ
本日生誕祭を祝っていただいて、ほんとにほんとにありがたいことですね。
埋もれかかっている菜那子をNGT48が見つけてくださり、目の前のファンの方々に温かく見守られ、今日のような日を迎えられて良かったですね。
オーディションに落ち続け、思い悩んでいた時、自分のことが大嫌いって泣きついたね。
お父さんもお母さんもこのつらい状況を打破しようと右往左往していました。
でもお母さんたちが動けば動くほど親の願望が入ってしまい、菜那子を救うことはできませんでした。
今思えば自分を好きになって幸せになれる場所は自分で見つけるものだと菜那子に教えられた気がします。
19歳の誕生日の朝、菜那子から「産んでくれてありがとう」とメールをもらいましたね。やっと長いトンネルから抜け出せたのだと思いました。
自分の中の夢の種に毎日水をあげてますか?
NGT48は菜那子が切磋琢磨していくのに最適な場所です。お仕事をしていく上で厳しい意見を避けるのは勿体無いです。言われた時こそ菜那子が成長する節目になります。
でもだって、どうせできないの。4Dはなるべく口に出さず、できないことよりできることを考え進んでね。
残念なことに世の中は努力しても報われないことばかりです。それをわかっていながらも何回でも立ち上がる姿勢を忘れないでください。
失敗は前提だとして、へこたれず前を向きなさい。昨日と変わらない今の私にならないよう意識してください。
支え続けてくださる多くの方々の恩に対して何倍もの感謝をもって受け止める、千恩万謝の気持ちも忘れずに。
それではごきげんよう。
母より
父から西村菜那子へのお手紙全文 (2017年8月16日)
菜那子さん、20歳のお誕生日おめでとう。
ななちゃんは小さい頃から本当に努力家でした。
小学4年生の運動会で学年全員で演技した一輪車。上手になりたくて、毎日毎日遅くまで一生懸命に練習した姿を今でも忘れません。
逆上がりも自転車もそうでした。
一方で、一生懸命努力したり、練習したりしている姿を人に見せくないというななちゃんの性格をお父さんは気づいていました。
幼稚園の年長さんからはじめたクラシックバレエは10年近く続けました。
長野のバレエ団での最初の発表会。コッペリア、たどたどしいけど可愛い演技を昨日のようのことに思い出します。
東京でのバレエコンクールには家族全員で出かけました。お父さん、お母さん、お姉ちゃんはななちゃんの嬉しい思いも、悔しい思いも家族みんなで分け合いたいと考えていました。
勤め先の都合で小学6年生で東京への転勤を経験させることになりました。
住み慣れた長野を離れるのは不安だったと思いますが、その時も家族全員で東京行きが簡単に決まりました。
東京では高校で特待生になるほど勉強を頑張り、進学先を決定するという時にNGT48のオーディションでの合格を手にしましたね。ななちゃんの願いが叶うことになり、嬉しい反面、正直複雑な気持ちでした。
お父さんには芸能界は知らない世界です。ななちゃんの人生を考えた時、これがベストの選択なのかとも考えましたが、好きなことをやらせないという権利はお父さんにはないと心を決めました。
そして、ななちゃんのやりたいことをずっとバックアップすることにしました。
ただ、どこに行くのも一緒だった家族は東京、長野、新潟とバラバラになりました。
嬉しいこととか、楽しいこととか、悔しいこととか、悲しいこととか、すべての思いを家族みんなで分け合うことはできないことが多くなりましたが、それはお姉ちゃんやななちゃんが大人になるのに必要なことだとわかっています。
今でも思い出します。ななちゃんは本当に優しい子です。父親参観日ではクラスの中でみんなに遅れる子を気遣っていましたね。お母さんも「仲間はずれになってしまう子の相手はいつもななちゃんなの」と言っていました。
少し不器用なところもあるけど、お父さんはななちゃんの家族への優しさ、気遣いに気づいています。本当にいつもありがとう。
どんな時でもお父さんもお母さんもお姉ちゃんもななちゃんの応援団だよ。自分を輝かせることができる場所を得て、かけがえのない一度きりの人生、思いっきり後悔なく自己表現してこれからも歩んでください。
父より